特集│令和6年能登半島地震

避難、インフラ被害についての状況と課題

畑山 満則
HATAYAMA Michinori
巨大災害研究センター
災害情報システム研究領域
教授

令和6年能登半島地震は、大規模な複合災害であったことに地理的な要素も加わり、極めて災害対応の難しい災害であったと考えられます。地震、津波、土砂災害、液状化などの地盤災害が、建物の倒壊だけでなく道路の崩壊・閉塞を引き起こしたため、救援・救助活動のために他地域から現地入りする人の移動が困難になりました。とくに奥能登地域(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)では、閉塞した道路を一時的にでも通れるようにする作業を、地理的な問題と物的・人的なリソース不足からなかなか進めることができませんでした。さらに停電・通信障害が重なったことで、孤立した避難場所を特定したり、物資支援をしたりすることに想像以上の時間がかかりました。

大津波警報が沿岸部全域に発令されたこともあり、指定避難所以外への一時避難が被災地のいたるところで行われました。そして、そのまま避難生活を送っているケースも多々あります。熊本地震でも行われていた車中泊に加えて、ビニールハウスへの避難も行われています。物資支援を行うためには、これらの避難場所を何らかの手段で特定して行政が認識する必要がありました。現地で活動する様々な機関がこれらの避難場所の特定を行っていましたが、中でも自衛隊によるものが多かった印象を受けました。筆者たちは過去の研究で、NTTドコモのモバイル空間統計(携帯電話の位置情報を用いた 500m×500m領域にいる推定人口分布)を用いて指定外避難所を探索する手法について提案していたことから、今回の能登半島地震においても1月5日から分析を行いました。分析の開始が遅れてしまったために、この分析結果から探索された孤立避難所はありませんでした。しかし、発見された孤立避難所情報の最新結果と照らし合わせると、現地で活動していた自衛隊からの報告と同時期に同じ場所を候補として見つけていた事例が複数ありました。

積雪地域でもあるため被災地に留まって避難生活を送ることが困難な被災者も多く、被災の激しい能登半島を離れての避難も積極的に行われました。令和3年 5月20日に改正された災害対策基本法によって、これまで一次避難所を経由しないと行けなかった二次避難所(福祉避難所)に直接避難することが可能となりました。しかし、被災地で二次避難所となる福祉施設の多くも被災していたため、被害が比較的小さかった金沢市など石川県南部地域に二次避難することとなりました。二次避難を希望する被災者の中には、妊婦や小さな子供のいる家庭といった福祉施設を必要としない世帯もあったため、二次避難所としてはホテルや旅館も割り当てられています。石川県は、被災者がこれらの二次避難先とのマッチングまでの待ち時間を過ごすための1.5次避難所をいしかわ総合スポーツセンター(金沢市)に開設しました。被災地外の市町への避難は東日本大震災でも行われましたが、このように体系的に行ったのは今回が初めてとなります。1.5次や二次避難所には運営上の課題も多くありましたが、今後の大災害でも同じスキームで対応が行われることが予想されるため、ここで得られた知見を教訓としてまとめておく必要があると考えます。

東日本大震災では深刻であった燃料不足は、今回の災害ではそれほど深刻にはなりませんでした。そのため、自家発電による電源確保は早い段階で行われましたが、通信障害は深刻でした。対策として、災害時の衛星通信としても注目されていたStarlinkを用いた一時的な通信サポートが通信キャリアによって行われ、 00000JAPANとして避難所等で活用できるようになりました。それによって、被災地内との通信も可能となり、コロナ過で急速に普及したオンライン会議を用いて情報の共有が行われました。上水道に関しては、奥能登地域に加えて七尾市など中能登でも復旧に時間がかかりました。全国から水道事業者が被災地に派遣されて復旧作業を行いましたが、2024年4月時点でも輪島市や珠洲市では応急給水に頼る生活となっている場所が多くあります。また、下水道の復旧は、さらに時間がかかるため、被災地のインフラが整うまでには、まだ時間がかかりそうです。

図 令和6年能登半島地震後(2024年1月1日20時時点)の輪島市、珠洲市、能登町、穴水町の推定人口分布
(ドコモ・インサイトマーケティングによるモバイル空間統計により作成)