ハルビンからジャカルタまで

 思いがけず文部省学術国際局国際学術課吉崎国際研究集会係長の国際共同研究の現地視察の海外旅行に、私が同行することになりました。
 出張期間は昨年11月23日より12月3日までの11日間で、訪問先はC-1関係の中国国家地震局、同工程力学研究所、同地球物理研究所、C-2関係の西安市、同地震局、同防止麗山滑披研究中心所、I-1関係のインドネシア国鉱山エネルギー省地質資源総局、同火山調査所、同グントール火山観測所、同タンクバンパラフ火山観測所であり、C-1関係は入倉教授、C-2関係は佐々教授、 I-1関係は石原教授が同行された。

華清池観測用横穴内の観測機器を視察する
文部省学術国際局吉崎国際集会係長
11月23日(水)
北京空港には予定通り到着し、空港で入倉教授と吉崎係長との待ち合わせの約1時間の問、タクシーの客引きが断っても断っても引き下がらないので、S.S.Bを待っていると入倉教授が言ったところ日本語で「バカヤロウ」と捨て台詞を残して去って行きました。
 中国国家地震局主催ディナーの席での会話は中国語及び英語であったので、語学の弱い私の隣の席に日本語が達者な工程力学研究所のYuan教授に座っていただいたので非常に助かりました。
11月24日(木)
 北京からハルビンへ移動。工程力学研究所ではXie所長から説明を受け、その後、高層建築模型による地震実験を行う振動台等を見学しました。
11月25日(金)
 松花江は流氷が流れており、真冬には氷が張り車で対岸まで渡れるくらい気温が下がるようです。
 北京に戻り、国家地震局及び国家地震局地球物理研究所を訪問し、それぞれの機関のzheng副主任教授とZhu副所長から説明を受け並びに地震観測網及びテレメータ室等を見学しました。
11月26日(土)
 西安では西安市人民政府副市長との会見の模様が、テレビニュースの時間に放送されました。
11月27日(日)
 西安市麗山滑披防治中心を訪問、楊貴妃で有名な華清池の地すべり災害予測について説明を受けた後、観測地である麗山へロープウェイで登り、華清池までの間の建築物のひび割れ、斜面の陥没箇所、露出岩のひび割れ、観測用横穴内の観測器及び斜面上の観測器並びに光波測距観測用機器の設置台などの視察を行いました。
11月28日(月)
 西安から上海までの機中でスチュワーデスに下手な英語で「チャイニーズ ティー」と言ったが通じないので、メモに大きな字で中国茶と書いていたら、隣席の中国人が「チャ」と言ってスチュワーデスに頼んでくれました。
11月29日(火)
 ジャカルタに到着した時は、どしゃ降りの雨で1時間くらいで止むかと思っていたが、バンドンまで(約5時間)の問、止むことがなく道路の所々が川のようになっていました。
11月30日(水)
 鉱山エネルギー省地質資源総局火山調査所を訪問、所長代行の情報教育部長suparto博士から説明を受けました。説明の中で興味があったのは、火山バザードマップがその火山周辺の住民に無料で配布されていることであります。その後、ガルー市のグントール火山観測所に移動、観測所からのグントール火山は生憎の天候で1840年の溶岩流下部しか見ることが出来ませんでした。その他、同観測所で共同研究により設置された地震観測システム及び火山模型等を視察しました。
鉱山エネルギー省地質資源総局火山調査所
12月1日(木)
 火山調査所で研究連絡後、タンクバンパラフ火山に移動、火口には水が貯まっており、自分としては阿蘇火山をイメージしていたので期待はずれでありました。その後、同観測所を視察しました。
12月2日(金)
 鉱山エネルギー省地質資源総局を訪問したが、Adjat総局長はメラピ火山爆発等の用務により不在のため、石原教授からのメッセージと記念品を秘書に言付けました。その後、東南アジア研究センタージャカルタ連絡事務所を訪問、田中助教授と懇談。
12月3日(土)
 旅行中はそれほど疲れたとは思わなかったが、JR関西空港駅で1人で列車を待っているとき、緊張が解けたのか疲れが出てきて一時も早く家の畳に寝ころびたいと思いました。
 このたびの出張は、3力年の研究成果に基づく新たな国際共同研究(5ヶ年計画)実施のための視察であるが、現地での協力体制及び観測機器の管理体制も整っており、共同研究もスムースに進展していることが推測できました。私には生まれて初めての海外渡航であり、外国語が不得手(中国・インドネシア語は勿論のこと英語も)なので、どうなるかと心配でしたが、吉崎係長、入倉先生、佐々先生、石原先生方々のご協力により無事に11日間過ごさせていただきましたが、少なくとも簡単な日常会話の英語は必要だと痛感いたしました。
(防災研究所総務課長 永井修)