韓国高潮災害調査報告


1.はじめに

 2003年9月、台風14号は発生直後においてははかなく消えてしまいそうな台風だった。太平洋上をゆっくり進んで行き、この時点で気象庁の台風予報も並みの台風だという。しかしながら事態は急変し宮古島に接近するにつれて、台風勢力の予報は繰り返し上方修正された。その後、台風が直撃した韓国では、防災対策が万全ではなく、死者・行方不明者をあわせて約130名、史上最大規模の物的被害という莫大な損害(1500億円以上)が発生した。この14号台風はアジア統一名として“MAEMI”の名で呼ばれている。朝鮮民主主義人民共和国の言葉で、「セミ」を意味する言葉である。この台風MAEMIによる被害の調査に水災害研究部門の戸田圭一先生、災害観測実験センターの石垣泰輔先生・馬場康之先生、技術室の吉田義則技官とともに2003年12月に韓国へ向かった。このとき調査した釜山と馬山(図1)の高潮災害について報告する。

2.釜山における災害

釜山近辺では主に被害の大きかった海岸沿いの被害状況を調査した。
写真1 海上ホテルの転覆現場


写真1は、海上ホテルの転覆現場である。埋立地の港湾内に係留したロシア製の船をホテルとして利用したものだ。2003年から営業を開始していたが、被災時から約3ヶ月経った調査当時では100億ウォン(10億円)の被害で復旧の見通しが立っていなかった。不幸中の幸いで、ホテルにいた人たちは避難して犠牲者はでなかった。台風が韓国に上陸する直前の最大風速は60m/sであった。そして転覆したのはそのすぐ後の出来事である。また近くのマンションの1階部分が浸水したが住民は小・中学校に避難し事なきを得た。

写真2 ミラク水辺公園



 次に写真2のミラク水辺公園(Millak Park)では階段式親水護岸に直径2〜3mの巨石が打ち上げられていた。高いところでは4m以上も高いところに打ち上げられた。最も高く打ち上げられていた1つには記念として案内板が取り付けられ、そこには9月12日19時30分に打ち上げられたことと、台風MAEMI・風速41m/sなどが書かれていた。また、放流用の暗渠内にも巨石が入り込んでいた。これらの巨石は、高潮・高波、及び満潮の影響で打ち上げられたものと推測できるが、巨大な石がこれほど高く打ち上げられることから、この台風の強さとともに台風の経路や満潮などその他の要因が重なり大きな被害を生み出したのだということをうかがい知ることができる。
写真3 修復中の海岸道路

写真4 馬山の娯楽施設

 その他調査したところでは、高潮・高波でテトラポットが打ち上げられ、防波堤のパラペットが一部破損したところ、写真3の乗用車やトラックが高潮と高波や強風で倒され、海岸沿いの小高いところにある道路が高波で削られたところ(海岸の傾斜が比較的緩やかで波が高くまでとどいたと思われる)、高潮で海岸沿いの家が損壊したところなどが見られ、このたびの災害がいかに大きなものだったかを痛切に感じとれた。

3.馬山における災害


 馬山市は1995年に周辺の農村と都市が統合されて出来た市である。そして台風の最悪の経路と満潮時刻が重なって百年来の災害となった。避難命令は山間部では出されたが、低地では出されなかった。
 写真4の娯楽施設は地下浸水が発生した場所で、地下1階:駐車場、地下2階:ゲームセンター、地下3階:カラオケボックスである。ちょうど台風の通った頃は9月10日から9月13日まで旧暦のお盆の休暇で親戚一同が集まった時期と重なり、地下のカラオケボックスには多くの人たちが集まっていた。海岸から800mも離れており、そこに来ていた人たちと従業員はまさかここまで海水が来るとは思わなかったそうである。水が地下に入った時も営業中だった。
 この時の浸水で8名の方がなくなり、その中には結婚を約束した2人が含まれていた。この娯楽施設では火事の対策はしていたが高潮の対策はしていなかった。それに対して隣のビルでは地下に店舗を開いている居酒屋のオーナーが、自らの判断で止水板を設置していたため被害を免れている。ソウルに訪れた際に地下鉄の入り口にもやはり止水板が置かれていた。この止水板が命運を分けたわけである。またこの町には近くの貯木場から流れ出した多量の丸太が散乱し、道路を埋め尽くして危険な状態となっていた。また丸太によってショーウィンドウのガラスが割れた建物もあった。

4.まとめ

 このたびの台風MAEMIによる被害は、高潮・高波・強風などの台風の規模だけでなく、満潮が重なったことも大きく影響した。特に馬山では伊勢湾台風のように台風の進路と地理的な要因が大きく影響して多大な被害をもたらしたものだと考えられている。
 また、海岸近くの低い土地に建っている建物の入り口に止水板を設置しているか等、万一のときに備えて災害対策をしているかという人々の防災意識によって、被害に差が出ることもよく知っておかなければならない。
 今回の調査において韓国でお世話になった、京畿大学の李先生、東義大学の徐先生、通訳の朴さん、馬山市役所 鄭建設都市局長、竃h災安全技術院の崔さん、その他お世話になった方々に謝意を表します。
 最後になりましたが、このたび災害で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。
(技術室 西村和浩)