1999年集集地震後の2001年台風による土砂災害の発生状況


図1 調査位置図
図2 台湾東部の地質図と調査位置図
1.はじめに
台湾は,1999年9月21日にマグニチュード(ML)7.3の地震(集集地震)に襲われ,その後2001年7月29日から31日にかけて,桃芝台風による豪雨を受けた。地震によって膨大な数の崩壊が発生し,さらに,この台風によって崩壊が拡大,あるいは新たに発生し、河川には大量の土砂が流出した。地震については,DPRI Newsletter 14で,台風による降雨と土砂流出については同じくDPRI Newsletter 22で概要が紹介されている.豪雨による死者は総計103名で,大部分が土砂災害による.
このような災害は,今回は台湾で発生したものの,日本でも過去に何回も繰り替えされてきたものであるし,今後近い未来にも予想されるものである.報告者は,台湾の工業技術研究院の協力を得て,地震直後の調査の後,台風後の2002年3月11日から17日まで現地調査を行った.この調査には,大学院生の宮崎裕子が同行した.ここでは,その調査結果の概略をとりまとめ,我が国を初めとして湿潤変動帯における山地災害の評価に資する資料としたい.
 調査箇所は,図1,2に示すように,台湾東部の花連周辺,西部の九十九峯,九分二山,水里,清水渓,濁水渓,草嶺である.

2.調査結果概要
 地震と桃芝台風による豪雨を受けたのは,台湾中部である.この地域で大量の降雨があったのは,7月30日で,いずれも,累積雨量は最大ほぼ600mmで,時間最大雨量は,前者で約80mm,後者で約120‐140mmであった.
1) 花連周辺
 この地域には,古生代の大南澳(たななお)片岩が,海岸線にほぼ平行に南北にのびて分布している.台風による土砂流出が激しかったのは,花連から50km南南西までの地区である.調査した見晴地区,太興村,鳳鳴地区,いずれにおいても,泥質片岩の流れ盤斜面に発生した崩壊が土石流となったものが多かった.片理面の傾斜は30度前後である.表層の厚さ10m程度の岩盤がクリープして著しく緩み,透水性が高くなっているために,斜面は水系密度の小さな滑らかな斜面となっている.崩壊の多くは,このような斜面に刻まれた浅い谷に発生した.おそらく,緩んだ岩盤を浸透した水が谷に集まり、そこに堆積していた風化泥質片岩を崩壊させ,土石流化させた.この付近の地震加速度は100gal程度であり,崩壊との直接の関係はないと考えられる。
2) 太魯閤
 ここは,高さ数100mの大理石岩壁が続く景勝地である.急崖では、岩壁の剥離がしばしば発生してきた.その主な原因は,岩壁に平行な開放節理が壁面から4‐5m奥まで形成されていることによる.ここでは,地震と降雨による被害はなかったもようである.
3)九十九峯
九十九峯は更新世の石英質砂岩からなる礫層で形成されている.ここでは,地震時に一夜にして緑の山の凸部が剥げ落ちたことが知られている.そして,その後の桃芝台風によっても著しい土石の流出があった.(図4).礫層は,もともと,地殻変動に伴う圧縮によって礫が衝突して破断し,その結果非常に密なものになっているが,表層部は根の進入などによって緩んでいる.この緩んだ部分が地震によって崩壊した箇所が多かった.山体の下部は60度から70度の急斜面となっており,その急壁に平行する剥離面がしばしば認められた.そして,今回の調査では,その剥離面から礫層が剥離して崩壊したものが多く見られた.土石は,多くの場所で谷から流出して沖積錐を形成した.
4)九分二山
ここは,集集地震によって発生した大規模崩壊地で,体積5千万?で天然ダムが形成された所である.20度から35度斜面下方に傾斜する中新世の砂岩と泥岩の地層が,もともと重力によって座屈しており,震動によって表層の厚さ50m程度の地層がすべった.地震の後にも至る所で座屈が進んでいることが認められ,その一部が7月の台風によって再度崩壊した(図5).また,天然ダムには排水路が作られていたが,台風に伴う出水で堆積物が下流末端から侵食を受け,その上端は天然ダム湖近くまでおよんでいた.最大の侵食深さは20m.
5)水里,濁水渓
濁水渓の土砂流出状況は水里東方約10kmの上流と下流とで異なる。上流は比較的穏やかで大岩塊に乏しく,下流には大量の土砂流出があり,しかも数m大の大岩塊が多かった(図6).この上流には,粘板岩などの泥質岩が分布し、下に流は水里まで石英質の砂岩分布域である(図2).この砂岩は,粘板岩の薄層と互層しており,表層はトップリングタイプのクリープなどによって緩んでいるのが一般的である.この岩石分布域では,地震によっても多くの崩壊が発生した.今回の台風で大量の土砂が生産されたのは,おそらく,地震によってゆるんだ互層が残存しており、それが降雨によって崩壊しためであると考えられる(図7).
濁水渓支流に沿って水里断層が存在し(図2)、その西側には中新世の砂岩と泥岩が分布し,東側には上述の石英質砂岩が分布している.崩壊は西側の中新世の地層にも数多く発生した。ここでは,受け盤の斜面が多いようであり,ここでも,地震による崩壊が数多く発生した.さらに,今回の台風でも大量の土砂が流出した.
6)清水渓,草嶺
清水渓沿いでは,地震時および今回の豪雨時ともに,九十九峯と同じ礫層の崩壊と,その南方の中新世の砂岩、頁岩の崩壊が多かった。この礫層分布域では,全体で崩壊が多かったわけではなく,双冬断層近傍で崩壊が多発した.つまり,この礫層は,双冬断層から2km程度以内で著しく破断し,密になって急斜面をなしていて,この部分の表層部が地震によって多数崩壊した。また,今回の台風でも,特にこの部分で崩壊が拡大,および,新たに多く発生したことが工業技術研究院の王文能氏たちの空中写真判読調査によって明らかになっている. 双冬断層南東側の中新世の砂岩,頁岩分布域の沢ではほとんどのところで土砂が流出していた.これは,水里南方の陳有蘭渓西斜面と同様である.
草嶺では,堆積物が侵食を受けて、新たな流路が形成されていた.侵食深さは崩壊直下で30m程度であった.
図3花連南方鳳鳴地区の崩壊と土石流
図4 九十九峯の崩壊,土砂流出(上)と破断した礫(下)図5 2001年7月台風後の九分二山の状況(座屈した部分の崩壊と堆積物の侵食)
図6 濁水渓上流(水里東方約10kmから西方下流を見る).左の支流から大岩塊が流出しているが,手前には大岩塊がほとんどない.図7 石英質砂岩と粘板岩互層の崩壊

3.わが国他への教訓(地震時およびその後の降雨による崩壊発生要注意地域)
 台湾でのこの経験をわが国にひきなおすと,地震による崩壊とその後の豪雨による崩壊と土砂流出の要注意地質・地形として,次のようなものがあげられる.硬質な岩石と軟質な岩石とが互層あるいは混在しているものが急斜面をなしている場合.例:砂岩−泥岩互層(中・古生層),メランジュ,石英片岩や緑色岩と泥質あるいは塩基性片岩との互層,溶岩と火砕物の互層.これらは,わが国には極めて一般的に分布するものである.
 わが国の礫層は,九十九峯の礫層ほど破断を伴って固結しているものは少ないので、そこまでの崩壊は起さないであろう.
 地震が表層崩壊と土砂流出状況に与える影響が小さい地域としては,泥質片岩,塩基性片岩,泥岩の地域があげられる.これらは地震にかかわらず地すべりを起しやすいものであるが,特に地震後の豪雨によって著しい土砂流出につながるわけではないと考えられる。
 その他,花崗岩類や火砕流凝灰岩は今回の被災地には分布していなかったが,これらの岩石の一部は,明瞭な不連続面を作りやすいので、地震時およびその後の豪雨によって表層崩壊を起しやすいと考えられる.

 調査にあたっては,台湾の工業技術研究院の王文能氏他の方にお世話になりました.ここに謝意を表します.

地盤災害研究部門 千木良雅弘