遺跡で発掘された液状化跡


1.はじめに
 1995年1月17日の兵庫県南部地震では液状化現象に伴う地変が著しかった。写真1は西宮市内の埋め立て地で地震の翌朝に撮影したものだが、このような光景があたり一面に展開した。
 一方、考古学の遺跡発掘調査の過程でも、過去の大地震にともなう液状化現象の痕跡が数多く検出されている。著者は、1999年から3年間、巨大災害研究センターで非常勤講師をさせて頂き、研究発表会や講義で様々な液状化現象の痕跡をとりあげる機会を得たが、その一部を紹介したい。

2.様々なタイプの液状化跡
2-1.液状化した地層の粒度組成
 遺跡の発掘現場では、液状化現象が発生した地層の変形や、その地層から上昇した噴砂が地震当時の地表面にいたるまでの過程を観察することができる。
 写真2は京都府埋蔵文化財調査研究センターが発掘した八幡市の木津川河床遺跡の事例であるが、細礫を含んだ砂層で液状化が生じ、幅約5cmの砂脈を通って噴砂が上昇している。ここでは、砂脈を構成する粒子に、上に向かって細粒化する「級化」が顕著で、砂脈の下部は礫(最大径1.8cm)と粗粒砂、中部は粗粒砂〜中粒砂、上部は細粒砂となっている。これは、地下水とともに砂・礫が上昇する過程で、小さくて軽い粒子が上昇し易く、逆に、大きくて重たい粒子が下に取り残されやすいことを示している。

写真1:兵庫県南部地震で流れ出した噴砂写真2:木津川河床遺跡の液状化跡

 写真3は滋賀県文化財保護協会が高島郡新旭町の湖底にある針江浜遺跡で調査した際のもので、最大径7cmの礫を多く含む砂礫層で液状化現象が発生し、そこから上昇した噴砂が、地震が発生した当時の地表面(弥生時代中期中ごろ)に広がる様子がわかる。砂脈内を上昇する過程の砂・礫には級化が生じており、砂脈の下部は大半が径4mm以上の礫(最大径7cm)、中部は2mm程度の礫(最大径は2cm)から粗粒砂、上部はごくわずかに礫を含む粗粒砂、そして、地表に広がった噴砂は粗〜細粒砂となっている。この場合、砂礫層が液状化したにもかかわらず、地面に広がったものは粗〜細粒砂となる。
 このように、地表に広がった噴砂を観察する際には、地下で液状化している地層の粒度組成は、噴砂と同じ場合もあるが、それより大きな粒子で構成されている場合もあることを考慮する必要があろう。
 この遺跡(写真3)では、一般に液状化し難いと考えられている砂礫層で液状化現象が発生している。しかし、発掘現場では、このような事例が数多く見いだされている。写真4は兵庫県教育委員会が発掘した神戸市玉津田中遺跡で検出されたもので、砂礫層(最大径7cm)で液状化が生じ、幅約6cmの砂(礫)脈の内部を礫が上昇している。

写真3:針江浜遺跡の液状化跡写真4:玉津田中遺跡の液状化跡

2-2.液状化現象と地層の変形
 写真5は東大阪市の西鴻池遺跡(大阪府教育委員会が発掘)で観察された液状化現象の痕跡である。60cm以上の厚さをもつ中粒砂(下部に径数cmの礫をわずかに含む)で液状化が発生し、この地層を覆うシルト〜粘土層(厚さ2.3m以上)を引き裂く最大幅15cmの砂脈が発達している。 噴砂の流出とともに、少なくとも写真で見られる範囲では、地層全体が激しい擾乱を受けている。
 対照的に八幡市の内里八丁遺跡(京都府埋蔵文化財調査研究センターが発掘)における写真6・7では液状化に伴う変形が、地層の一部に限定されている。ここでは、砂層(細粒砂)の大部分に,堆積構造としての水平葉理が保存されており、最上部の幅20cmの範囲だけが液状化に伴う変形を受けて、本来の堆積構造が消滅している。
 ともに1596(文禄5・慶長元)年9月5日に発生した伏見地震の産物であるが、写真5の場合は砂層を覆う地層が1m以上の厚さをもつとともに粘性が強く、液状化現象が発生した後しばらくは、噴砂の流出が不十分な中で地層の変形が拡大したものと思える。
 一方、写真6の場合は、上を覆う粘土層が脆く、地震の直後に噴砂の流出が容易だったため、地層の変形は上部のごくわずかの範囲に限られている。液状化した砂は速やかに流れ出し、それ以外の地層には変形が及んでいないようである このような事例は、液状化現象に伴う変形が地層全体で生じるのでなく、特定のポイントで生じた変形が周りに波及して行くことを示している。遺跡で観察した液状化跡の多くは,写真6のように,変形の範囲が限定されていた。

写真5:西鴻池遺跡の液状化跡写真6:内里八丁遺跡の液状化跡(遠景)
写真7:内里八丁遺跡の液状化跡(近景)
図1:佐山遺跡の液状化跡断面図図2:穴太遺跡の液状化跡断面図

2-3.噴砂流出の不連続
 図1は京都府埋蔵文化財調査研究センターが発掘した久御山町佐山遺跡で観察された液状化現象の痕跡である。下部の砂礫層から上昇した砂(礫)脈が、上部の粘土〜シルト層を引き裂いて上昇している。そして、砂脈の先端は浸食を受けて水平方向に削られ、これを地震以後に堆積した粘土が覆っている。砂脈が引き裂く地層と、砂脈を覆う地層の境界は中世の末期に当たり、1596年の慶長伏見地震の産物と考えられる。
 砂層を上位からT〜W層に区分して説明するが、T層は粘土質シルトを含む中〜粗粒砂、U層は最大径3cmの礫を含む砂礫、V層は下位の地層を少し削り込んで堆積した粗〜中粒砂で上部には水平葉理が見られる。そして、W層は最大径7cmの礫を含む砂礫層である。
 一方、砂脈の内部は、最下部を除いて、上に向かう級化が顕著である。下半分は側面から供給された粘土のブロックを多く含む砂礫(最大径3cm)、上半分は中〜細粒砂となっている。これらはU層から供給されたもので、砂脈内を上昇する過程で級化が生じたと思える。
 さらに、これらを押し上げるように、T層から供給された中〜粗粒砂が、約8cmの高さまで砂脈内に浸入している。このような二階建ての構造は、液状化現象の発生に伴って地下水が上昇する際の流速の間欠的な変化を反映したものと思える。ここでは、液状化の発生に伴って、U層から砂・礫が流出したが、最終段階で一呼吸おいて、今度はT層からの砂がわずかに上昇し、砂脈を満たしていた砂・礫を押し上げたものと思える。
  図2は滋賀県文化財保護協会が大津市穴太遺跡で検出したもので、最大径30cmの礫を含む扇状地堆積物から生じた幅3cmの砂脈である。噴砂流出の最終段階で砂礫(最大径7cm)が上に向かって級化しながら上昇し、砂脈内に存在していた砂礫(最大径6mm)を砂脈の上部まで押し上げている。
写真8:開 大滝遺跡の石組み井戸と砂脈(平面形)
写真9:開 大滝遺跡の石組み井戸と砂脈(断面形)
写真10:住吉宮町遺跡における井戸枠の変形
写真11:六条遺跡における遺構の変形

2-4.水平方向へ向かう砂脈
 砂脈は、地面に向かって垂直方向にのびるとは限らない。特に、細かい粒子で構成されている場合、進行方向にある地層の物性などの影響を受けて、水平および斜め方向に複雑な動きを示す。
 写真8は富山県文化振興財団が福岡町で発掘した開 大滝遺跡の液状化跡で、16世紀の石組み井戸を最大幅18cmの砂脈が引き裂いている。井戸の埋土も引き裂かれていたので、井戸が放置されて内部が粘土で埋め立てられた後で発生した地震によるもので、1858年の飛越地震の産物である可能性が高い。
この痕跡を平面的に観察した段階では、砂脈が真下から垂直方向に上昇してきたように思えた。しかし、砂脈に直交するトレンチを掘削すると、井戸の左下方に見られる層厚20cmの砂層が右方向へのびて、井戸の石組みの左半分を上下方向に引き裂いていることがわかった。その後、井戸の中央に到達してからは上に向かい、井戸を左右に引き裂きながら当時の地表面にいたっている。
砂脈は様々な方向に成長し,礫などの障害物に遭遇した場合,これを避けて向きを変えることがあるが、この場合は、石組み井戸を顕著に変形させている。

2-5.遺構の切断と側方移動
 神戸市教育委員会が発掘した灘区の住吉宮町遺跡では、奈良時代後期に設置した井戸枠が真ん中で二分され、上半分だけが南(地形の傾斜方向)へ向かって1。9mも移動していた(写真10)。井戸枠が設置されていた地層を観察すると、井戸が分断された位置に層厚30cm程度の柔らかい砂(主に細粒砂)が堆積しており、上位は粘土質砂、下位は固結度の高い礫含みの砂から構成された。
 この遺跡では、中世の生活面が波状に変形しており、これを掘り下げた段階で井戸枠の変形が認められたわけである。この面から、深さ約1.5mの位置にある柔らかい砂層で液状化が発生して、井戸枠の上部とともに、地形や地質がやや傾斜していた南方向に向かって移動したものと思える。
 写真11は芦屋市の六条遺跡(兵庫県教育委員会が発掘)で見られた遺構の切断跡である。12〜13世紀の遺物を含む遺構が二基、中央で切断され、上側が35〜40cm南に向かって移動している。遺構が切断された位置は、現在の地表面から1.3mの深さ(近世の水田耕作土の下面から60〜70cmの深さ)にあり、幅8cm前後の砂層(最大径7mmの礫〜極細粒砂)が堆積している。砂層の上位はシルト層、下位は極細粒砂〜シルトであるが、この薄い砂層に沿うように、遺構の上半分を含むシルト層が南(地形の傾斜方向)へ向かって移動している。  いずれも、伏見地震の痕跡と思えるが、地下に存在した遺構の変形によって,地層の側方移動がはっきり認識できたことになる。

3.おわりに
 跡の調査で多くの液状化跡を観察することができるようになった。私たちは、大地震に際して、地表付近の被害の様子や、地面に流れ出した噴砂丘の形態を容易に観察することが多い。しかし、地面の下を覗いてみると、地表の観察だけでは推測し得ない様々な情報が得られる。今後は、これらをいかにして、現実的な地震被害の軽減に役立てるかを考えることが大切な課題と思っている。

参考文献
寒川 旭(1999)遺跡に見られる液状化現象の痕跡.地学雑誌,108,391-398.
寒川 旭(2001)遺跡で検出された地震痕跡による古地震研究の成果.活断層・古地震研究報告,No.1,287-300.

独立行政法人・産業技術総合研究所 寒川 旭