2005年パキスタン北部地震による地震・土砂災害



はじめに
 2005年10月8日午前8:50(現地時間、日本時間で午後0:50)に、パキスタン北部のカシミール地方ムザファラバード付近、イスラマバード の北北東95kmで大地震が発生した(図1)。震源の深さは26km、マグニチュードはMw7.6(米国地質調査所)、M7.8(気象庁)である。その結果、 8万4千人が死亡した。当日がラマダンの月にあたり、多くの人が屋内にとどまっていたために、被害はより大きくなった。また、地震の揺れ そのものによる建物の被害の他に、斜面崩壊が膨大に発生し、道路網が寸断された。また、巨大崩壊が複数発生し、内1つは河川を せき止め、塞き止め湖を形成した。震源地帯のムザファラバードはヒマラヤの入り口にあり、すぐ北にはナンガパルパットやK2といった山並み がそびえている。ここは、アザドカシミール州の州都であり、その人口は数十万人と大きな町である。
 パキスタンでは、地質調査所の環境・応用地質支所(イスラマバード)がその調査と復興計画の責を負い、調査を進めている。このたび、 防災研究所と防災研究フォーラムの支援を得て、現地調査を行うことができたので、概要を報告する。調査日程は、2006年3月10−17日 である。すべてパキスタン地質調査所環境・応用地質支所のカウサール所長との共同調査である。

図1 パキスタン北部地震の位置
(米国地質調査所ホームページから)
図2 タンダ断層と
ムザファラバード断層の位置
(中田高・熊原康博、2005.
日本地理学会災害対応のページから)

地質と地形の概要

 ムザファラバードは、2つの大きな河川の合流する位置にある(図2)。つまり、南東からジェラム川が北西に向けて流下し、北から南に流れる キシャンガンガ川と合流する箇所の北東の丘陵にムザファラバードの市街地が広がっている。ジェラム川はムザファラバードで南に流下方向を 変えている。ムザファラバードの西側では丘陵を隔てて、クンハ川が北から南に流れ、蛇行を繰り返した後に丘陵を横断して、ジェラム川に ムザファラバードの南方で合流している。
 ムザファラバード付近は、ヒマラヤの衝突帯にあたり、その地質は、北西―南東方向の断層(図2のタンダ断層とムザファラバード断層)に よって大きく分けられている。産業総合研究所では、両者の断層をあわせてバラコット−ガリ断層(Balakot-Garhi fault)と仮称している。その 北東側には、カンブリア紀と暁新世の石灰岩と苦灰岩が主に分布し、その南西側には、南東部では中新世のマリー累層(Muree Formation)が 分布し、北西部では、カンブリア紀のハザラ粘板岩(Hazara slate)が分布している。マリー累層はパキスタンの北部のパンジャブ平原の北部に 広大に分布している地層で、赤みがかった泥岩と灰色の砂岩とからなっており、特に泥岩は軟質で、いたるところで地すべり地形を呈していた。 ハザラ粘板岩は、日本の一般的な粘板岩と同様にいたるところで重力性の変形をしている。
 タンダ断層はジェラム川に沿っており、ムザファラバードの北方で向きを西に変え、キシャンガンガ川を横断し、さらにムザファラバード断層 に沿っていく。ムザファラバード断層はクンハ川をバラコットの町で横断してさらに北西に伸びている。
 ムザファラバードの市街地の載る丘陵や河川沿いの段丘を除くと、比較的急峻な山稜が広く分布しており、特に前述した石灰岩と苦灰岩、 およびハザラ粘板岩の地域は急峻である。それに比較してマリー累層の分布域は相対的になだらかである。

活断層と地震断層

 今回の地震では、2つの平行な活断層に沿って地震断層が出現した。これらの活断層は広島大学(現在広島工業大学)の中田高氏が 調査され、「パキスタンの活断層」の中に図示していたものであった(Nakata, et al., 1991)。これらの断層は、図2に示すように、北西―南東 方向で、ムザファラバードで約2km北東―南東方向にずれて分布している。今回の地震断層は、右横ずれ成分を持つ逆断層で最大約7m 北東側が隆起した。タンダ断層の北西端で産総研・京都大学・広島工業大学の合同現地調査チームによってトレンチ調査が実施された。 ここは、断層変位が北西に向かって急速に減少する場所にあたっていたが、北東側が約2m隆起、左横ずれ0.7mの箇所である。トレンチの 結果、見事な北傾斜の逆断層が確認された(図3)。その結果は論文にとりまとめられる予定である。

図3 タンダ断層北西端でのトレンチ位置(左)とその西側断面(右)。左の写真では、トレンチの手前に断層の 末端の亀裂が見える。右の写真では右下から左上に上がっていく断層が見える。水糸の間隔は1m。

地震による住居被害

 我々は建築物の調査は行わなかったが、著しい被害であった。最も大きな原因は建築物自体ブロック積みのものが多く、耐震性の考慮が されていなかったと見られることである。住居が立て方向に潰れた状況はいたるところでみられた。ムザファラバードの中心は図5に見るように 山中の段丘にあるが、その周囲の山地斜面に数多くの家屋があり、人々が生活していた。これらの斜面上の家屋には、斜面変形ではなく、 震動のみによって破壊されたものが多いように見受けられた。わが国の山地の土地利用は、谷沿いを中心になされているが、当地では谷沿い よりも山稜の上部の丸みを帯びた部分が居住地に多く利用されている。このような地形的凸部では震動が増幅されることが明らかになって おり、家屋の倒壊の集中はこのような現象によるものかも知れない。いずれにしても、家屋の倒壊被害は、後述する斜面崩壊の分布と同様に 地震断層の上盤側に著しかったようである。ムザファラバード断層の北西端のバラコットでは、上盤側の丘陵の上にあった中心街がほぼ全滅 した(図4)

図4 バラコットの地震断層直上の被災状況。左は全景で、中央の左に傾斜する丘の上にあった中心街は 全滅した。その左裾を右奥から左手前に地震断層が通過している。右はこの丘陵を手前から見たところで、写真中央奥から左手前に 地震断層が通過している。地震断層の出現に伴って手前の噴水盤は左に約4度傾斜した。

斜面崩壊

 斜面の崩壊は見事に地震断層に沿って発生していた。これは、国土地理院の佐藤浩氏他が報告したSPOT5の画像解析によくみてとれる。 ムザファラバード市街地からその北西方にかけての地域では、ムザファラバード断層とタンダ断層との北東側の石灰岩斜面で多くの崩壊が 発生した。最も著しいのは、ムザファラバード市街地の北から北東方である(図5)。ここでは、高さ約300mの河岸斜面が崩壊し、一時的に キシャンガンガ川をせきとめた。また、バラコットの南東では、劣化した古い岩盤すべりの移動体に崩壊が多く発生していた。
 ムザファラバードの中心街の地盤を構成するのは、北部がマリー累層で南部はその上にのる土石流堆積物である。一般的に南部では 沢の側壁のごく表層が剥離した箇所はあるが、深い崩壊は発生していない。一方、北部ではマリー累層の特に泥岩は風化して軟質になって おり、それが表層で崩壊したり亀裂を生じたりしている箇所があり、今後の降雨による地すべりや侵食が懸念される。また、市街地の上方は 断層を境にして石灰岩の急崖となっており、その部分で発生した土石が沢に堆積しており、それらが今後流下することも懸念される。これらの 沢には砂防堰堤のようなものはない。マリー累層には古い地すべりがいたるところに認められるが、それらが再活動したものは相対的に 少ないようである。
 ムザファラバードよりも南東側のジェラム川沿いにはマリー累層が広く分布しており、そこに地すべりや亀裂が生じている。特に、ムザファラ バードから約40km南東のハティアンでは、大規模な地すべりが発生しており、ジェラム川をせき止めている(図6)。発生前の衛星画像と 発生後の状況との比較から、これは昔の地すべりの再移動であることがわかっている。この地すべりは、パキスタンの地質調査所の調査に よれば、斜面下方にプランジする向斜構造に発生したもので、すべり面はほぼ地層の層理面にそっているようである。この周囲には数多くの 地すべり地形が認められる。

図5 ムザファラバードでの斜面崩壊状況。左は北部で、高さ約300mの石灰岩崖が崩壊し、川を一時的に せき止めた。右はムザファラバードの北東側の崖で、その下を地震断層が通過している。
図6 ムザファラバードから約40km南東のハティアンの大規模崩壊。写真の奥側に塞き止め湖が形成された(八木浩司氏撮影)。


おわりに

 今回の地震被害は、逆断層の上盤側に集中して発生した。これは、主に震動の強さと性質によるものと思われる。また、表層崩壊や浅い 亀裂が多く発生しており、今後のモンスーン期の降雨による崩壊や侵食、また、土砂流出による二次被害が強く懸念されるところである。 地すべりダムの安定性についての検討も重要な課題である。これらの問題も含めて、支援のための委員会がJICAに設置され、協力が進め られている。中越地震では、起震断層は複数あり、複雑な形態をしていたが、今回の断層は非常に単純なようである。この地震によって発生 した現象は、おそらくわが国の内陸活断層が今後活動した場合に発生する現象の重要な参考になると考えられる。

(地盤災害研究部門 千木良雅弘)