インド西部地震の被害調査を終えて


Bhuj市旧市街の被害状況
(工学院大学 久田嘉章 撮影)
 2001年1月26日の現地時間午前8時46分、インド西部Gujarat州にあるBhuj市の北東約20 kmに大地震(Ms 7.9, Mw 7.6, Ml 6.9)が発生した。インド西部地震は、内陸直下の大地震で、その被害は、死者2万名、負傷者16万6千名(うち重傷2万717名)、全壊家屋37万戸、半壊家屋92万戸、被災総額2126億ルピー(約6千億円)という大災害となっている(インド政府発表3月20日現在)。地震予知や地震災害軽減に関する研究推進のため、現地に調査団を派遣し、活断層や地殻変動、地震動、被害などの調査研究を行うことは非常に重要であるとの観点から、2月16日に文部科学省平成12年度特別研究促進費研究「2001年インド西部大地震の総合的調査研究(研究代表者:弘前大学佐藤魂夫教授)」として調査団が結成された。調査団はその調査内容別に次の4班で構成された。
GPS観測班:2月18日出国−2月25日帰国
地表地震断層調査班:
2月25日出国−3月11日帰国
余震観測班:2月26日出国−3月6日帰国
被害調査班:3月4日出国−3月13日帰国

 防災研究所からは、Jim Moriが余震観測班に、澤田純男と林康裕が被害調査班に参加した。ここでは被害調査を行って印象に残った何点かについて述べておきたい。
 インド西部地震の調査においては、被害の大きかったKachchh地方に入るまで、分かっていないことが多かった。地震発生後1カ月以上が経過しているにも関わらず、震源の正確な位置や余震域、断層面の傾斜方向などが分からず、建物被害の広がりもWEBページで仕入れた情報が頼りだった。このような情報不足のために、余震観測班では観測点配置に悩まれたと聞いている。被害調査班においても、被害調査対象地点や調査方法の選定に悩まされたのはもちろん、宿泊場所の決定でも影響を受けた。被害調査班は当初宿泊予定としていたBhujのホテルを、その構造形式と被災度から、大きな余震が直下で発生した場合には危険と判断してキャンセルし、無理を言って日本赤十字のキャンプでお世話になった。ところが、我々が宿泊予定だったホテルにはインド国内・外からの研究者が多く宿泊していた。我々も、余震分布がBhachau周辺に限定されているという情報を事前に入手できていたら、そのホテルに宿泊していたかもしれない。地震後の情報の重要さを痛感するとともに、専門家の危険回避に対する意志決定の差に戸惑いと不安を覚えた。
Ahmedabadで倒壊した高層アパートの
1階柱(右)と同タイプの建物(左)
(工学院大学 久田嘉章撮影)
Gandhidham市街の階数別建物被害
Gandhidham市街の建物支持地盤
 一方、今回の地震では震源付近での強震記録が全く得られていない。被害調査班では、被害をもたらした直接の原因である地震動強さを広域的に把握することを目的として、(MSK)震度調査を行った。調査方法は、訪問した町や村毎に、建物の構造種別とその被災度を基にして震度換算する方法と、ヒンディ語やグジャラーティ語で用意したアンケート調査に基づく方法の2種類である。被災地の住民は総じて調査に非常に協力的であった。これは、詳細な地図にしか記載されていない小さな村を訪れた時のことである。村の入口辺りからは殆ど大した被害は見つけられなかったが、村人に案内されるままに奥まで入っていくと、突然、多数の倒壊建物が出現した。そんな家々の建物1件1件の被害状況や死亡者数を、英語が話せる村長風の村人が丁寧に説明してくれた。その村には、地震後40日以上経過しているにも関わらず、我々以外には調査に訪れた者がいないらしい。また、この村に限らず、被災地への援助物資や支援は滞りがちで、特に大きな町から離れた小さな村にはあまり行き届いていない様に見受けられた。
 被害を受けた建物に目を向けると、今回の地震では、殆ど地震に対して抵抗力のないKuchchaやPuccaと呼ばれる伝統的な組積造が軒並み倒壊したのだが、RC造建物の被害も数多く見られた。そこで、Gandhidhamという町で被害が特に大きかった街区を中心として、約150棟の建物の被害調査を行った。その結果によれば、意外な事にRC造と組積造の建物の被害率には明瞭な差がなかった。これには2つの要因が関係している様である。
まず、この町の組積造は通常より頑丈に造られていた可能性がある。特に旧市街の建物に壁が多く、施工も良かった。Gandhidhamは1950年代から計画的に造られた町と聞いているが、1956年にAnjar地震があり、近隣のAnjarで多数の建物被害受けた。地震被害経験が町づくりに生かされ、被害低減に一役かったと思われる。その一方で、4,5階建てのRC造建物の被害率が大きかったことが今一つの要因として考えられる。大きな被害を受けた中層RC造建物の中には、被害原因としてよく指摘される、ピロティ形式、鉄筋の配筋詳細の不適切さなども見られたが、これは中高層建物に限定した話ではない。一般に、低層から中層の建物では、建物階数が高くなる程、被害率が増大する傾向にある。この傾向は、各国の建物の保有耐震性能水準によって被害程度にこそ差はあれ、近年の兵庫県南部地震、台湾集集地震、トルココジャエリ地震で共通した傾向なのである。そして、高層の建物ほど倒壊した場合に死者数が多くなりやすい事も気にかかる。インド西部地震では、震源から300km近く離れたAhmedabad市で、ピロティ形式の中低層(約60棟)及び高層RC造(3棟)に被害が集中し、約750名の方が亡くなっている。
 最後に、震源付近の被災地の地盤条件にも言及しておきたい。建物の支持地盤はかなり良好な印象を受けた。Kandala港のような臨海部の町を除き、地盤変状による基礎の被害なども確認できなかった。Gandhidhamの17地点で行った地盤の常時微動計測の結果を見ても、表層地盤の増幅は殆ど確認できず、建設現場で見られた支持地盤も非常に良好であった。恐らく、殆どの建物が我が国の耐震設計で考えている工学的基盤相当の地盤に直接支持されている状態で地震を経験したと考えて良さそうである。逆に、もし日本の平野部と同じ程度の地盤条件であったと仮定したら、地震動が増幅されて建物被害はさらに甚大となったのではないかと推察している。
 もし日本だったらと考えるとき、建物の保有耐震性能が高いという安心材料の一方で、平野部に位置する大都市では中高層建物が密集するなど、インドの被災地にはないマイナス要因も存在する。日本でも決して無事ではあり得ない。地震による被害の様相は、その地域の風土や社会、経済などにも大きく影響を受けるため、別世界での出来事であるかの様な印象を受ける人も多いかもしれない。しかし、想像力をたくましくすれば、インド西部地震の被害経験から、我々も多くの事を学べるのではないかと考えている。
(総合防災研究部門 林 康裕)