防災研究所人事異動・新スタッフ紹介

防災研究所平成7年4月1日付け人事異動

転出
 谷池義人助教授(耐風構造)→大阪市立大学工学部教授
 大久保賢治助手(河川災害)→岡山大学環境理工学部助教授
 田中丸治哉助手(内水災害)→神戸大学農学部助教授
 三谷桂子研究助成掛長  →庶務部
 三井唱子庶務掛主任   →工学部
 西村廉経理課専門職員  →附属病院
 山本幸三経理掛長    →経理部
 安原捷行施設掛長    →工学部
 前野敏昭(経理掛)    →京都国立博物館
転入等
 高山知司教授(海岸災害)      ←運輸省港湾技術研究所水工部長
 椎葉充晴教授(河川災害)      ←工学部助教授
 中川一助教授(砂防)        ←(湾域都市水害)
 戸田圭一助教授(湾域都市水害)   ←河川環境管理財団主任研究員
 奥田泰雄助手(耐風構造)      ←大阪市立大学寄附講座教員
 小泉尚嗣助手(地震予知研究センター)←(地域防災システム研究センター)
 片尾浩助手(地震予知研究センター) ←(阿武山観測所)
 大見士朗助手(地震予知研究センター)←(阿武山観測所)
 中川渥技官(地震予知研究センター) ←(阿武山観測所)
 芹澤重厚助手(白浜海像観測所)   ←技官
 横山康二助手(地形土壌)      ←技官
 小西康行研究助成掛長       ←滋賀医科大学
 木村智子庶務掛主任        ←人文科学研究所
 箕部進経理課専門職員       ←附属病院
 下岡貞正経理掛長         ←福井医科大学
 山田芳男施設掛長         ←京都国立博物館
 北村修施設掛主任         ←施設掛
 福元隆経理掛採用

防災研究所新スタッフ紹介

海岸災害研究部門教授 高山 知司

 平成7年4月1日付けにて運輸省から文部省に出向して、防災研究所の海岸災害研究部門を担当することになりました。昭和44年に京都大学大学院修士課程を修了して、運輸省に入省して以来26年間、港湾技術研究所で不規則波浪の変形や越波、波浪中における浮体の運動、多方向不規波の造波方法、防波堤の信頼性設計などの研究を行ってきました。行政機関の研究所であったため、基礎研究というよりほとんどが応用研究でした。行政機関の研究所にいた経験をこれからの研究に生かせてゆきたい考えておりますので、みなさまのご指導、ご髄推をお願い申し上げます。
河川災害研究部門教授 椎葉 充晴

 1995年4月から河川災害部門を担当することになりました。よろしくお願いします。
 簡単に経歴を述べます。1949年3月27日長崎県佐世保市生まれ。京大工学部土木工学科卒、同大学院修士課程修了。1974年京大工学部助手、1985年講師、1986年助教授。
 研究分野は、豪雨・出水の実時間予測、ダムや遊水地などの水工施設の制御、水害時の避難行動、流れモデル・流域地形、リモートセンシングによる流域場情報の取得、治水計画論などです。
湾域都市水害研究部門助教授 戸田 圭一

 初めまして、4月より湾域都市水害研究部門に赴任しました戸田圭一です。簡単に自己紹介をします。昭和56年に京大土木の河川工学研究室で大学院の修士課程を修了した後、アメリカのアイオワ大学で4年間勉強していました。帰国後、コンサルタント会社で水理関係の業務に従事し、その間、河川環境管理財団の研究所に出向したりしていました。アメリカや実社会で採まれたん経験を研究生活の中に活かして、元気に頑張って行 く所存です。
耐風構造研究部門助手 奥田 泰雄

 平成7年4月1日付けで防災研究所助手に採用されました新人の奥田泰雄です。どうぞ宜しくお願いいたします。とはいっても、4年前まで約10年間もここでお世話になっていたので、新人という表現はふさわしくないかもしれまんせん。これまでは大阪市立大学工学部のメンプレイン構造講座という、公立大学では最初の寄付講座に在籍していました。なお、顔写真は約2年前に撮ったもので、現在は髭を生やしています。(周囲からは不評のようですが、本人は気に入っています。)
総務課研究助成掛長 小西 康行

 ジェリコ展、北大路魯山人展、フランス絵画の精華、梅原龍三郎遺作展、華麗な革命(衣装展)、ジウジアーロ・デザインの世界その他数々のものが、私が6・7年前に京都の近代美術館にいたころに催された展覧会です。1年の観客動員が40万以上でした。今ではその3分の1とか、文化発信墓地の名がなくように思われます。  京大の法規掛で、本学初めての独立研究科として人間・環境学研究科を、そして総合人間学部の設置申請を 行い、また3つの独立専攻の設置申請をしました。
 滋賀医科大学では、小規模の学部設置以上に難しいと思われる4年制の看護学科の設置を最小の人員と経費で他の大学以上の内容のものができたと思っています。また、当大学の各種委員会を担当したが、特に倫理委員会において京大の法学部の先生にもお世話になった脳死判定による臓器移植手続と宗教がらみの無輸血治療の方針決定については印象が深いです。法規の制定改廃については、模倣を離れて大学の特長を活すことを旨にしてきました。
 この度、研究助成掛へ来て、防災研究所の活気と行動力をまのあたりにして、激動の国鉄時代のように感じられました。 昭和27年生まれの団塊の次の小世代です。どうぞよろしくお願いします。
総務課庶務掛主任 木村 智子

 今回の人事異動で初めて宇治キャンパスに来ました。当初は一種のカルチャーショック状態でしたが、視野の中に春があちらこちら飛び込んで来て心からなごむようでした。
 趣味は、旅行とテニス&スキーです。煩雑な日常から脱出して大自然の中にたたずんで入るのがストレス解消に最適です。気楽孫参加できるテニスでもあれば誘って下さい。
 今の私の課題は二つ。通勤に慣れることと精神的ゆとりを持つことです。クリアに向けて頑張りたいと思いますのでよろしくお願いします。
経理課専門職員 箕部 進

 私は、公務員生活がちょうど33年を迎えております。昭和37年、中小企業から転職し、公務員のスタートを切りました。以降23年間病院の事務を経験し、如何にして収入を上げるか?如何にして患者に対するサービスの徹底等を身を持って学びました。初めて病院から配置換えになった放射線生物学研究センターの事務については、「井の中の蛙大海を知らず」を身をもって経験しました。ここでは、3年と4月を経験し、大型計算機 センターで3年間の共同利用掛に従事し、再び病院に呼び戻され3年間財政難の時代を過ごしました。
 自分の歩んで来た道が何かしら、ともすればどれが本業なのかわからなくなっています。
 研究所は、初めてなのと経理事務が約6年の空白とでやや不安ですが、経理課長の言葉の中でこれも何かの縁で仲良く楽しく仕事をして欲しいとの言葉を得て、自分一人ではなく、同僚のみんなと楽しく仕事をしたい。また、先生方の研究に少しでも貢献できるよう縁の下の力もち的なものとしてお役に立ちたいと思っています。今後とも、よろしくご指導ご鞭推のほどお願いします。
 趣味は、園芸と野球(観戦)で特に阪神タイガースの応援でストレス解消をしています。
経理課経理掛長 下岡 貞正

 私自信、1月17日、兵庫県南部地震が発生したときは、妻と子を宇治市に残し、単身赴任中の福井医科大学の宿舎の床の中で震度4の地震として経験しました。その時の状況として、医科大学においても医療スタッフ、救援物資等の体制作りで等で、大変な時もありましたので、防災研究所でのその対応は、想像を絶する ものだったと思われます。この大変な時期に防災研究所に勤務することになり、私としても先生方及び上司、掛員の協力を得て、研究条件のより良い体制作りに少しでも寄与できればと考えておりますのでよろしくお願い致します。
 簡単に私の略歴を紹介させていただきます。
 私は、昭利41年に京都大学に採用され、初めの12年間程を文部技官として、工学部金属加工学教室で鉄鋼材料関係の研究室で過ごし、その後、文部事務官として化学研究所・医学部附属病院等を経験し、平成4年4月より福井医科大学に3年間勤務し、この4月に京都大学に帰ってきました。
経理課施設掛長 山田 芳男

 初めまして、私は、この度経理課施設掛長に配属となりました山田でございます。不本意にも4月早々入院をしてしまい、皆様に御心配をおかけした事をお詫て激します。2カ月間のブランクを1日も早く埋めるように努力したいと思います。
 宇治は、4年前の3年間、化研で勤務していた土地であり、久し振りに古巣に戻った感じです。防災研は、全国各地に「施設」があり、その管理の重要さに身の引き締まる思いです。これから皆様の御指導を頂きながら頑張りますので、よろしくお願い中し上げます。
経理課経理掛 福元 隆

 初めまして、福元隆です。まだ、右も左もわからない状態で、ただ言われたことをーつーつ失敗を含みつつこなしている毎日です。自分としては、なるべく早く自分の為すべき仕事を覚え、それを土台とし、人間また一人の職員として成長して行きたいと思っています。最後になりましたが、今後(若しくは既に)私の意に反し皆様に多大な迷惑をおかけすることがあるかも知れませんが、そのような事の有無にかかわらずどうぞよろしくお願いいたします。