2000年鳥取県西部地震が投げかけた問題


 この地震ではメデイア関係の人から「どうして活断層の無いところに地震が起きたのか」という質問をいくつも受けた。兵庫県南部地震以来「地震は活断層で起きる」というのが多くの人の常識になっていたらしい。しかし、それは正しくない。地震は地殻の岩盤が急激にずれるという現象であり、ずれた結果が断層である。だから予め断層の無いところにだって”最初の地震”が起きる事はある。その結果、地殻の中に”最初の断層”が形成される。その断層が初めから地表に現れるとは限らない。同じ断層で何回も地震が起こり、ずれが積み重なって、ようやく地表に顔を出す事ができる。それが地質学者の目にとまって「活断層」と認定される。今回の地震は、地震と活断層との関係を改めて正しく認識させてくれた。
 2番目に多かった質問は、マグニチュード7.2の兵庫県南部地震に比べて、今回の地震のマグニチュード7.3は大きすぎるのではないか、という疑問だった。被害が少なかった事もこの質問の一因であろう。マグニチュードは各地で観測された地震波の最大値を平均して求められる。極端な例だが、堆積層の厚いところの地震波は増幅されやすく、そういう観測点のデータをたくさん取り込むと、平均値は大きくなる。従ってマグニチュードも大きく出る。もっともこういう例は少ない。むしろ、大きな問題は震源からどこまでの距離のデータを採用するかである。なぜなら、震源距離によって最大振幅がS波であったり表面波であったりするからである。そして地震計の性能も複雑に絡んでいる。従って気象庁の発表するマグニチュードは±0.3 程度の誤差はあり得る。
図1 2000年鳥取県西部地震の余震分布
米子付近から南南東にのびている分布が
  本震の破壊域に沿った活動
大山の南東と島根県にも誘発された地震活動が見られる。
(地震予知研究センター、ホームページより)
図2 1989年からの3回の地震活動の震央分布と、鳥取県西部地震の余震の震央分布。両者が一致していることがわかる。(澁谷拓郎による) 図3 本震の断層面のずれの大きさと1989年からの3回の地震活動の深さ分布。色の濃さは断層のずれ(slip)の大きさを表している。
(地震活動は澁谷拓郎、ずれの分布は関口・岩田による)

 気象庁の発表するマグニチュードをほかのそれと区別するときにはMj(ジェイ エム エイ マグニチュード)と呼んでいる。これに対してMw(モーメント マグニチュード)がある。後者は「断層の面積×ずれの量」にある計数を掛けたものから計算される。Mw の方が物理的であり地震学者の多くはこちらを使っている。兵庫県南部地震のMwは6.9, 2000年鳥取県西部地震のMwは6.6であり、エネルギー比にすると後者は前者の2.5分の1程度である。断層の面積やずれの量が求められる近年の大地震についてはMwが有効だが、昔の地震やおびただしい小さな地震のMwをどうするかとなると、はたと困る。こういった地震の大きさを表す尺度として、やはりMjは圧倒的に多く使われている。
 誰からも尋ねられはしないが、地震学者が首をかしげている問題もある。今回の地震の起きたところでは1989年からマグニチュード5クラスの地震が繰り返し起きていた。長期的に見て群発地震の活動域であり、そういうところでは岩盤に蓄えられるストレスを小出しに解消しているはずである(と思っている)。だから大地震は起こらないだろうというのが大方の見方だった。しかし大地震は起きた。澁谷さん達がマスターイベント法で過去の地震の震源も精密に決定した結果、1989年からの3回の地震活動はぴったり今回の地震の断層に一致することがわかった(図2,図3)。3回目の活動、つまり最後の活動が1997年9月のM5.4であるから、わずか3年の間に同じ断層が2回活動したことになる。一度活動した断層が次に活動して地震を起こすためには、その断層面はしっかり固着していなくてはならない。内陸地震の場合、固着に要する時間は1000年〜3000年と言われている。それがわずか3年で固着したのだろうか。これは私たち研究者の大きな疑問である。鳥取県西部地震は地質学的にも地震学的にも、またここでは触れなかったが測地学的にも、新たな問題を投げかけた。このような学問上の問題とは対照的に、いろいろな調査や観測はきわめて迅速にかつスムーズに進んでいる。

写真1 境港市 昭和町(かにかご
岸壁)の被害
(鳥取大学 池内智行・盛川仁 撮影)
写真2 境港市 上道神社の倒壊
(鳥取大 池内智行・盛川仁 撮影)
写真3 境港市 中浦水門の被害
(鳥取大 池内智行・盛川仁 撮影)


 地震の発生した10月6日は、防災研究所の共同利用研究集会「地震発生に至る地殻活動解明に関するシンポジウム」の開催中で、地震発生時刻13時30分は2日目の午後のセッションを始めようとする時だった。地震予知研究協議会の企画部のメンバーが揃っていたこともあって、調査・観測に対する立ち上がりは速やかにできた。突発災害の科研費申請も関係の先生の尽力で速やかに行われ、7大学1機関16名の研究組織で「2000年10月鳥取県西部地震による災害に関する調査研究」が行われている。地震予知研究センターからは地震発生当日に緊急観測班が出動し、本震直後の精細な余震分布を求めることができた。この緊急余震観測は全国大学による合同の稠密余震観測に受け継がれ、震源域に57観測点を展開し11月下旬まで観測を継続した(図4)。地震波トモグラフィーの手法により、まもなく精細な余震分布と同時に3次元地殻構造が求められる。特に地殻下部の流動体の検出は地震発生のきっかけを理解する上で非常に重要であり、先の問題解決にも大きな期待が寄せられている。
図4 全国大学による稠密余震観測(DAT)。
■印は防災科学技術研究所と
防災研究所による衛星通信観測点。
は本震の震央

地震予知研究センター 梅田康弘