カリフォルニア工科大学に滞在して

地震災害研究部門 澤田純男 


 京大後援会の助成により1999年3月より10ケ月間,アメリカ合衆国のカリフォルニア工科大学(California Institute of Technology, 通称CALTECH)に滞在して,活断層近傍の強震動に対する土木構造物の耐震設計法に関する研究に従事した.

カリフォルニア工科大学
 CALTECHは,アメリカ合衆国California州Los Angeles郊外のPasadena市にある私立大学で,1891年にThroop Universityとして設立され,1920年から現在の名称でよばれるようになった.設立以来の教授陣はミリカン,アインシュタイン,グーテンベルグ,ファインマンなどの錚々たる顔ぶれで,ノーベル賞受賞者は,私が滞在している間に一人増えて,27人となった.学部課程の教授対学生比率は一対三で私立大学としては無謀とも思える少人数教育を誇っている.U.S.News誌のBest Colleges2000年ランキングで,並み居る名門大学を押さえて1位となった.まさしく世界トップレベルの大学である.

 私の専門である地震工学の分野では,「地震工学の父」と呼ばれるHousner先生が86歳の御高齢ながら名誉教授としてご健在である(写真1).また,地震学の分野では東京大学助教授から1972年にProfessorに転身されたKanamori先生がご活躍である.私の受け入れ教官はIwan教授で,材料力学から地震工学まで幅広い見識を持たれた先生である.

写真1 地震工学関係のスタッフと
クリスマスパーティーで
(左端が私,右にHousner先生)
写真2 CALTECHの美しいキャンパス

 大学の建物は全般的に古く,その殆どは戦前の建物である.しかしよく手入れが行き届いており,その古さをあまり感じさせない.キャンパスは全面に芝生が敷き詰められ,まるで元々公園があり,その中に大学があるのかのように思える.サバティカルで私と同じように1年間滞在していたアメリカの他の大学の先生が,「こんなに美しい大学を見たことがない」と言っていたから,アメリカの中でもトップクラスの美しいキャンパスなのだろう(写真2).校内は基本的に車の乗り入れは禁止されており,物品の配達や,作業員の移動は小型の電気自動車が使われていた(写真3).その上アメリカではバイクに乗る学生は殆どいないので,校内にエンジン付きの乗り物が走ることは殆ど無く,学問の府に相応しい静粛が保たれている.

 現在のアメリカ経済は好調であり,失業率は過去最低レベルであったので,治安は比較的良い状態だと感じた.大学のあるPasadena市や,私が住んだ隣のArcadia市はロサンゼルス近郊でも治安の良い地域であり,実際に危険を感じたことはなかった.しかし私の滞在中にも,CALTECHに滞在していた日本人研究者が撃たれる事件が発生した.幸い弾は当たらずに事なきを得たが,治安が良いと言ってもやっぱりアメリカはアメリカであり,決して気を抜けないことを実感した.

耐震設計法における米国と日本の最近の動き
 阪神淡路大震災以降,断層近傍の強烈な地震動を対象とした設計入力地震動のことを「レベル2地震動」と呼び,レベル2地震動を合理的に設定する方法と,レベル2地震動に対してある程度の損傷を許容しながら崩壊等の重大な被害を発生させないように設計する設計法(限界状態設計法)の開発が急務とされている.

 米国では,1994年Northridge地震を契機として,耐震設計基準改訂の機運が盛り上がった.その基礎的な考え方は1995年のVision2000によって示された.これは確率的に設定された4レベルの設計入力地震動にそれぞれ性能を規定する,新しい「性能を基準とした設計法(performance-based Design」である.しかしながら日本や欧州の研究者からは,実際には地震動の設定や地震応答解析に,4つのレベルを設定する程の精度が確保できないとの批判が強かった.1997年に制定された米国の新基準のうち既存構造物については,ほぼVision2000どおりになっているが,新規構造物に対する耐震設計基準では,3レベルの地震動しか規定されておらず,そのうち中間レベルの地震動は,最大レベルの2/3倍とするなど,結局2レベルの設計に戻りつつある.また,断層近傍の構造物に対しては確定論的に評価された地震動を用いるとしている.

 日本の土木学会では確定論的に設定された設計入力地震動を用いる2レベルの設計法を推進しつつあり,米国とは大きく異なる.しかしながら米国でも断層近傍では確定論的に入力地震動を評価する傾向にあり,今後日米の基準を統一した考え方で整理することに努めたいと考えている.

 また,石油ターミナルの耐震設計基準を作成するための会議に出席することができた.日本の設計基準の作成は,クローズな委員会の中で役所主導の下に行われる印象が強いが,アメリカのそれは,シンポジウムのようなオープンな会議で,石油会社,港湾関係者,コンサルタント,大学関係者などが対等な立場で議論しているのが印象的であった.

写真3 キャンパス内を走りまわる電気自動車写真4 CALTECHが中心となって開発した地震観測網

Hector Mine地震
 滞在中の10月16日午前2時46分に,Hector Mine地震が発生した.その時私は自宅で就寝中で,その揺れで目をさました.Los Angelesは震源地から160km程離れており,揺れの大きさ自体は大したことがなく精々震度3程度と思ったが,その揺れの卓越周期は非常に長く2秒近いと感じた.まるで船に乗っているような揺れだった.

 カリフォルニア工科大学は南カリフォルニア地域の地震情報発信源の中心的機関(写真4)で,当日早朝からテレビ局などが詰めかけていた.早速Kanamori教授からこの地震の詳細を教えていただいた.1992年Landers地震の震源断層に平行な極近くの断層が震源と判明したが,隣接する平行な断層が僅か7年で動いたことにショックを受けた.1995年兵庫県南部地震の震源断層の近傍には,ほぼ平行に走る断層が何本か存在するが,これらが明日動いてもおかしくないと,このHector Mine地震は物語っていると思ったからだ.