パプア・ニューギニアの巨大津波

 本年7月17日に起こったパプアニューギニアの津波災害で,2,500名を超える死者が発生した.筆者は7月30日から12日間にわたって,国際調査隊を組織して現地を訪れた.ここでは大津波災害の実態となぜこのような大津波となったかを述べてみよう.

被災地はどのようなところなのか
 パプアニューギニアという国名よりもラバウルという地名の方がわが国では有名である.かつての太平洋戦争では,今回の被災地周辺で目木の将兵がおよそ14万人弱犠牲になった.その大半は戦闘ではなく,栄養失調や,マラリア,デング熱などの疫病で亡くなっている.
今回の被災地は首都ポートモレスビーから800kmも離れた辺境の地である.まず,中型ジェット機でウエワクに飛び,そこからアイタペという小さな町へは,陸路180kmも悪路をドライブしなければならない.道路といっても,途中橋の架かっていない川を37個所もある.
わが国から順調にアプローチしても,現地に行くまで正味3日間を要する.ここから被災地にはいるには,小型の船かヘリコプターしかない.電気,ガス,水道,電話というような都市のライフラインと名の付くものは何もない.そして,この未開地で今世紀2番目に犠牲者数が多い津波災害が発生した.
 ヘリコプターからの写真からわかるように,ほぼ直線の遠浅の砂浜海岸の左側の沖から右手へと津波が襲った.右手の浅い沼地はシサノ・ラグーンと呼ばれ,1907年の地震で作られた.

大津波がやってきた状況
 津波に襲われた砂州上の集落人口が約6,000名であるから,およそ2人に1人が犠牲になったことになる.
シサノ・ラグーンの砂州上で,約20kmにわたって津波の高さが10mを超えた.そのすさまじさは写真の通りである.ココナツの木さえ地面に寝てしまっている.
 聞き取り調査の結果から,地震後,数分から10分後に来襲した3波の津波は,その時の海面上最大15mの地点を通過している.津波を目撃した生存者は,双発のプロペラ横が近づいてくるような音を,あるいは雷のような音を立てながら,絶壁のような黒い水の壁が高いココナツの林の上に現れたと証言している.そして,砂州上の家ごとこの沼地を横断し,3kmも離れた対岸の密林へ運んだそうである.  もし,沼でなく山が迫っていたとすれば,津波の遡上高(はい上がりの高さ)は20mを軽く超えていたであろう.今回の津波は北海道南西沖地震で青苗を襲った津波の2倍以上の高さで来襲した.

推定される津波の発生メカニズム
 ここで観測された津波は,地震マグニチュード7.0によって起こるものとしては異常に大きかった.
現地調査から帰国後,いろいろな可能性に沿って調べたところ,つぎのような証言を満足するようなモデルをいま検討中である.
  1)地震波の記録波形は,ごくありきたりの地震であったことを示している.
  2)住民は3度地震を感じているが,記録は1回きりの地震であったから,ほかの2同は別の理由による.
  3)南方向伝播した津波は異常に高く,北方向にはすぐに減衰してしまっている.また,沿岸方向にも20から30kmの範囲で異常に大きく,その区域外では急激に小さくなっている.
  4)津波がやってきたとき,海底近くで赤色になっていた.しかも,火傷をしている負傷者が多い.地震の前日に沖合の浅瀬でしきりと泡立っていた.
  5)津波の波源域(津波が発生した海域))付近には,河川からの大量の土砂が堆積していた.
 このような背景から,コンピューターで水深1,000m付近の緩勾配上で海底地滑りを発生させたところ,同程度の津波が発生することがわかってきた.そこで,このような地滑りを発生させた引き金は,地震の揺れそのものと地震によるガスの突出ではないかと疑っている.いずれにしても今後津波の発生メカニズムを明らかにしていくつもりである.

今後懸念されること
 もし,地震によって起こった海底地滑りで津波が大きくなったのであれば,わが国の周辺海域でそのようなところは無数にあるので,この解析結果の社会的影響は大きい.なぜなら,そのようなところでは,想定していないようなとんでもない津波が襲う危険性があるからである.
また,今回の津波では多くの子供が犠牲になった.しかも,住民は津波がキリストの怒りによって起こったと思いこんでいるので,背後の遠く離れたジャングルや山中の7個所におよそ1万人逃げ込んでいる.
共通言語としてピジョン・イングリッシュ(独特のアクセントの英語)があるものの,複雑な言語体系をもっているので,そう簡単に地域間の住民の移動と再定住は行われないと考えられる.被災したコミュニティの復旧過程がどのようであるかは,文化人類学的にも貴重な資料であり,わが国の過去の三陸津波や磐梯山噴火の後に行われた復旧ルールとどのように相違するのか,慎重に調査したいと考えている.
巨大災害研究センター 河田 恵昭