チベット高原を測る

1998年7月29日
大気災害 寺尾 徹

 五千メートル前後の高度に広がる巨大なチベット高原は、気象研究者にとってやはり「特別な土地」である。 大気質量のちょうど半分をせき止めるように突き出た山塊は、大気の動きにとてつもなく大きな影響を及ぼしているにちがいない。 アジアモンスーンのメカニズムに強い興味を持っている私は、この5月中旬から6月にかけて、この「特別な土地」チベット高原上での大気と陸面の相互作用を測るプロジェクト GAME-Tibet の観測隊に参加する機会を得た。

チベットの自然


写真1
アムドのサイトで見た巨大な絹雲

写真2
MS3637から見たニンチェンタンゴラ山脈

 チベットの自然は美しい。 写真1は、アムドの観測サイトでみた絹雲である。 これまでこんなにも大きな絹雲を見たことがなかった。 また、写真2は、ある観測サイト (MS3637) の風景である。 我々観測隊と、観測のための移動に用いたパジェロ。 その背景に見えるはるか彼方まで続く草原と、その後方の青空、ニンチェンタンゴラ山脈が、壮大でまた美しい。 このように、そのまま観光 (sight seeing) の場となりうるような観測サイト (site) も珍しくなかった。 これらの雄大で美しい自然の風景は、車による長い移動や、体力的にかなりハードな観測作業の疲れをしばしば忘れさせてくれた。 晴れた夜には天の川が見えた。 というより、二十世紀の自然科学の知識を前提としている我々の目からみると、我らの所属する銀河系を、確かに目撃することができた。 モンスーンに入り、遠くに雷雲が発達すると、それの発するスパークが夜闇に光る。 なかなかの天体ショーであった。

チベットのひとびとと動物たち

 また、 5000m 近い高地で最後まで曲がりなりにも健康を維持して観測を全うできたのは、現地の人々のおかげである。 初めて 4000m を越える宿となったシーダータンで私は軽い高度障害におそわれた。 頭痛と食欲不振で、油っこい中華料理を目の前に、何も食べられない私を見て中国側のメンバーの一人が「にんにくの黒焼き」を教えてくれた。 私は宿舎に帰って早速「黒焼き」を試した。 宿舎の管理人のおぼさんを見つけ、「ストーブでにんにくを焼きたい」という内容を見ぶり手ぶりで伝えた。 すると彼女は管理人の部屋のストーブを使ってにんにくを焼いてくれたばかりでなく、大きな[火考]餅というパンのようなものをこしらえて、私達にふるまってくれた。 これらは大変疲れた胃にやさしくマッチし、十分私の腹を満たしてくれた。 その晩はたいへんよく眠れ、その後の高度順化は基本的に順調に推移した。


写真3
観測中の我々のまえを堂々と
横切っていくヤク(毛牛)たち

 どの観測点にいっても実に率直に好奇心を表してくれるチベット人たち、とくに子どもたちがどこからともなく現れ、観測サイトの鉄条網のまわりはしばしば動物園状態になった (動物役はもちろん我々)。 どの人も、笑顔を向ければ必ず笑顔で応えてくれた。 印象的なのは、「僕は日本人」と自己紹介すると、かならず「私は西蔵 (シーザン・チベットのこと) 人」と答えたことだ。 やはりここは、「中国」ではないのだと感じさせられる。 また、どこまでもつづく草原には人間よりもはるかに多くのヤク (毛牛・モウニュウ) たち (写真3)、羊たちがいた。

中国社会の変化と現代

 今回の観測のスケジュールはかなりタイトであったが、仕事の中で、あるいは行き帰りのほんのちょっとした自由時間の合間に、中国の社会のいろいろな断面に触れることができた。 ちなみにホテルにはテレビもあり、きっちりワールドカップの日本チームの活躍もチェックできた。 それにしても感じたのは、中国における経済活動の急速な発展である。 テレビからはさまざまな国内外の企業のコマーシャルがひっきりなしに流れ出している。 「インテルはいってる」 song もたびたび聞かされた。 北京、蘭州などの大きな都市に行けば活発な経済活動を象徴する巨大な建造物がどんどん建てられていた。 私は以前の姿を知らないが、おそらくここ十数年の間に相当様変りしているのだろう。 車も増え、蘭州の街はスモッグに覆われ、日本がかつてそうであったように、あるいは今もそうであるように、これから中国でもいろいろな社会問題が噴出するようにも思われた。

 帰りがけによったラサでは、ポタラ宮を見学。 しかし本来の主であるダライ=ラマはそこにはいなかった。 チベット高原上では、パンチェン=ラマの肖像は至るところに見られたが、ダライ=ラマのそれは全く見られなかった。 我々が到着する直前にも、ラサの町で政治的な衝突があり、死者も出る事件があった。 今は観光資源として利用されているかたちのラサの町であるが、背後には緊張が走っていることを感じさせられる。 現状の緊張関係の下では、飛行機観測することも、軍事的理由から許可されないという。 今後状況がどのように変化していくのか、チベット高原を重要なフィールドの一つとしている我々には関心を高く持たざるを得ないところである。 中国と日本のよりよい関係が、科学協力の分野でも進展することを願う。