2001年7月に発生した台湾の洪水・土砂災害について


1.はじめに
 2001年7月30日に台湾を襲った台風桃芝(Toraji)は台湾中部に豪雨をもたらした.その結果,中部の南投県,東部の花蓮県を中心に洪水・土砂災害が多発した.この災害発生の報を受けて,中川一教授,牛山素行助手とともに8月13日〜17日の期間に台湾の現地調査に赴いた.台湾の国立成功大学防災研究中心の方々に協力いただき,南投県の洪水・土砂災害箇所,および花蓮県の土砂災害箇所を調査してまわった.調査箇所は南投県の竹山鎮郊外および濁水渓支川の陳有蘭渓沿い,花蓮県の光復郷大興村ならびに鳳林鎮鳳義里水源地である(図-1 参照).ここではその災害状況のあらましを紹介するとともに,調査時に感じたことを少しばかり綴ってみることとする.

図ー1 台湾全域と調査域 図-1(A) 南投県調査箇所 図-1(B) 花蓮県調査箇所

2.被害の概要
 台風桃芝(Toraji)により,花蓮県では30日未明を中心に,南投県では30日明け方を中心に豪雨が発生した.花蓮県の鳳林観測所では,降り始めの29日午後3時からの24時間雨量が565mmに達し,そのうち30日午前0時から午前6時までの6時間雨量が400mmを超えた.また南投県の信義観測所では,29日午後11時からの24時間雨量は473mmに上り,30日午前5時から午前11時までの6時間雨量が350mmを超えた.この豪雨の影響で洪水・土砂災害が多発し,台湾全域で死者・行方不明者あわせて210名以上に達する大惨事となった.8月8日の段階での各県別の死者・行方不明者数をまとめたのが表-1である.
 台湾全域でのその他の被害概要は以下のとおりである.土石流発生地点および土砂崩壊地点は全国で93箇所に達した.約34万世帯で停電し,約52万世帯で断水が生じた.また南投県,台中県を中心に109箇所で道路に損壊が生じた.農業および畜産業に対する損失は12.8億台湾ドル(2001年8月現在,1台湾ドル=3.64円)と推定されている.台湾でこのような大きな台風被害が生じたのは,1963年に死者312名を記録したグロリア台風以来約40年ぶりである.

表-1 人的被害
県市別死亡(人)行方不明(人)負傷(人)
花蓮県31 16 16
南投県39 80 172
彰化県8 1  
台中県13 4 1
台中市5 2  
嘉義県0 2  
雲林県1 1  
苗栗県6 5  
総計103 111 189

3.洪水・土砂災害状況
(1)南投県の洪水災害
 濁水渓は,台湾中部の中央山脈,阿里山山脈に源を発し,西流して台湾海峡に注ぐ台湾第一の河川である.この濁水渓には清水渓などいくつかの支川が流入しているが,清水渓の一筋上流の左支川である東埔蚋渓が,南投県竹山鎮郊外の延平橋付近で越流および破堤により氾濫した.そして下流の集落「木屐寮」が氾濫流に襲われ,死者・行方不明者が9名に上る惨事となった.調査時の木屐寮の状況が写真-1である.
 東埔蚋渓は延平橋の直上流の左岸側で越流し,氾濫流は道路を越えて地盤高の低い木屐寮方面に流下した.またその後,延平橋下流の左岸側で破堤が生じ,氾濫水が木屐寮を直撃する事態となった.このように,越流と破堤という異なった原因により生じた氾濫流が,時間差をおいて木屐寮を襲ったこととなる.越流や破堤の原因は現在のところは不明であるが,台湾中部では,5年前の1996年7月30日〜8月1日にも台風による豪雨が発生し,そのときの降雨量は今回を上回る規模であった.1996年洪水時の土砂流出による河床の上昇が,越流そして破堤を助長した可能性は高いのではないかと感じた.
 東埔蚋渓の上流域では7月30日の明け方から雨足が強くなっており,破堤箇所付近で30日午前8時30分に最高水位を記録している.木屐寮の住民の証言によれば,30日午前7時30分頃に,河川の水位が高いという友人,知人の知らせで一部の住民は自主的に避難を開始した.午前8時30分頃に氾濫流により家屋が破壊されており,直前の避難により難を逃れた住民もいたようである.氾濫流の流下箇所では多くの巨石が堆積しており,最大級のものは粒径が1m以上に達している.氾濫流は多量の土砂を伴うものであった.また氾濫流が通過した箇所はかなり幅が狭い範囲に限られている.このことは,越流および破堤後,氾濫流は堤内地内で滞留したり拡散したりせず,高流速で勢いよく流下したことを示している.被災地で完全に崩壊した家屋とほとんど損傷のない家屋がわずかな距離しか離れていないことがこの事実を物語っている.調査に訪れたのは災害から約2週間経過した時であったが,堤防の復旧や土砂の採取といった応急措置的な工事が進められていた.また住民のなかには近隣の竹山鎮の中学校に一時的に避難している人達もいるという話も耳にした.

写真1 木屐寮の洪水災害状況 写真2 郡坑村の土砂災害状況 写真3 大興村の土砂災害状況

(2)南投県の土砂災害
 南投県の中央山脈,玉山山脈西側の濁水渓支川の陳有蘭渓沿いでも7月30日明け方から激しい豪雨にあい,その結果,土砂災害が多数発生した.被害が集中したのは水里郷,信義郷周辺であり,水里郷では死者・行方不明者あわせて39名,信義郷では51名に達している.
 水里から信義方面へと陳有蘭渓沿いの国道を車で上っていったが,急傾斜の山を背後に寄り添うように道路沿いにたたずむ集落のいくつかが,土石流により切り裂かれた状態となっていた.とくに大きな被害が発生した箇所は,水里郷郡坑村,信義郷豊丘村,信義郷新郷村などである.写真-2は水里郷郡坑村の被災状況であり,土石流による壮絶な爪痕を目のあたりにした.この村では道路沿いに位置する社会活動センターの1階部分が巨石により破壊されていた.わが国では避難所に指定されているような場所が土石流の直撃に遭っているわけである.上流に行くにしたがい,土石流や土砂流出の規模は拡大しており,信義郷に入れば,いたるところで巨石が転がり,礫の海と化している光景に出くわした.また道路や橋の損壊も多数見られた.
 今回の土砂災害の原因は24時間雨量が400mmを超す豪雨により生じたことは明らかであるが,この地域は豪雨常習域であり,前にも述べたように今回以上の豪雨は5年前にも発生している.しかしながら,そのときはこのような激しい土砂災害は報告されていない.きちんとした調査結果のとりまとめや解析がなされていないので断定的なことは言えないが,1999年9月の集集地震の影響で,土石流や山地崩壊が起こりやすい状況になっていたことは十分考えられよう.また地元の新聞に目を通すと,公有地に違法に植えられたビンロウジュ(ヤシ科の高木)が土壌の悪化に一役かっているのではないかとの論説記事もあった.
(3)花蓮県の土砂災害
 花蓮県では29日夜から30日にかけて集中豪雨に襲われ,30日未明に8箇所で土石流が発生した.その中で大きな被害が生じた箇所は,光復郷大興村ならびに鳳林鎮鳳義里水源地である.
 大興村では30日午前3時頃,斜面崩壊から大規模な土石流が発生した.大量の礫や土砂が流下し,それらが堤防をのりこえて家屋や農地を襲った.死者・行方不明者はあわせて41名,約200戸の家屋が被害を受け,そのうち16戸が全壊した.また農地約50haが土砂に埋まった.土砂の堆積厚さは最大で15mに上り,流出土砂量は全体で約150万m3と推定されている.調査時の土砂氾濫状況が写真-3である.花蓮県の職員は,今後,土砂や流木を除去した後,被災した地区の住民には移転してもらう方針だと語っていた.
 一方,鳳義里水源地でも土石流が発生した.流出土砂量は推定で約7万m3,土石流により埋まった家屋が3戸,浸水家屋は約100戸に上った.埋もれた家屋内にいた1世帯7人のうち,5人が亡くなり,1人が行方不明となっている.

4.おわりに
 急峻な地形に加えて,年間2,500mmに達する降雨量が台風期に集中する台湾は,土砂災害のポテンシャルがきわめて高い.土砂災害の危険区域もいたる所に存在するとみられるが,山腹工,砂防ダムや流路工といったハード対策を危険箇所すべてに設置していくのは不可能であり,予警報システム,避難システム,土地利用規制,危険区域の住宅移転といったソフト対策をわが国以上に推進していくことが重要ではないかと強く感じた.
 今回の災害調査では,防災研究所にゆかりのある国立成功大学防災研究中心の謝正倫教授に大変お世話いただいた.国内の災害調査でもそうであるが,災害直後は私達だけで調査するにも限界があり,必要な資料などもなかなか入手できないことが多い.海外調査では協力をお願いできるパートナーの存在が不可欠である.国際化の進展のなかで,災害調査でも国を超えた共同調査研究体制が柔軟に組めるような研究者の輪をつくっておくことがとても大切であるということを改めて認識した次第である.
 最後に,本調査実施に際して便宜をはかっていただいた入倉孝次郎所長にこの場を借りて厚く御礼申し上げます.

水災害研究部門 戸田 圭一